「キャプテン翼マガジン」に本編と一緒に掲載されているスピンオフ読み切り。
今回は、吉良監督がオリンピックサッカー日本代表の監督を引き受けた経緯や、明和FC立ち上げの裏話を拝めるお話ですね。
まずは、沖縄で半分隠居生活してた吉良監督のもとに、ktgrとガモウが訪れ「お前オリンピック代表の監督やれYO!」と話を持ち出すところから始まります。
要約をするとこんな感じですね。
ktgrは引き続きガモウに五輪代表監督をやってもらいたかったけど、本人が固辞。
じゃあお前替わりに誰がいいんだYO!って聞いたら真っ先に上がったのは吉良監督。
ワシもガモウがやった方がいいと思うんだけど、っていうかワシ少年サッカーしか指導経験ないし…とりあえず一晩考えさせてくれ!
ううむ。ktgrも吉良監督も、なぜかガモウをずいぶん評価してるようでけど…ガモウはキャプ翼の監督の中でも、ぶっちぎりの無能だからなあ…。
全日本の合宿所に殴りこんで、日向や岬などの主力を追い出したら、残った選手は過酷なトレーニングでへばっちゃうわ、アジア予選のタイ代表が思いのほか強くて、慌てて若林と葵を招集するなどバッタバタしてましたし、ジャパニーズゾーンプレス(笑)という戦術を立てたものの、ブラジル相手には通用せず「もうワシにも打つ手が無い」と頭抱えるわ…。
ワールドユース編を読んでた身としては、ガモウだけは絶対やめとけしか思えない(´・ω・`)
まあ結局吉良監督は、オリンピック日本代表監督受諾をするって流れ(そして就任会見での禁酒宣言へ…!)になるんですけど、その一晩眠れずにいろいろ考えてる中で、明和FC誕生からの過去を振り返ったりするわけです。
貯金や退職金を元手に、埼玉の地で明和FCを立ち上げ、土地を借りて手作りでグラウンドを整備し…って、吉良監督めちゃ堅実的なことしとるなあ。ただのDQNアル中のおっさんかと思ってたのに。
そして、どんなサッカーチームを作ればいいのかと悪戦苦闘しつつも、あの“攻撃的で勝つサッカー”という明和FCのサッカーを作り上げるわけですね。
それにしても、厳しい指導をしたら親御さんから苦情が来てたのに、結局「厳しい練習に耐えられない選手は容赦なく切り捨てた」と舵を切っちゃうあたりは、さすが吉良イズム!って感じですねえ。流石牙の抜けた教え子に対して、昔のお前なら三杉の心臓を蹴破ってでも云々と言い放っただけの事はあります。
そんな吉良監督が思い返す「ぼくのつくりあげたさいきょうのちーむ」は、日向が5年生だったころの明和FC。日向、タケシ、若島津に岬が加わり、周りを鍛え上げた6年生が固める…。
おそらく次回からはそんな彼らの物語が描かれるんでしょうけど…この時全国制覇したのって、確か秀哲小ですよね…?どうするのかな。